劇作家はなぜ戯曲を書くことを選んだのでしょうか?TV、映画がまだ全盛ではない時代、ドラマを見るには劇場-Theaterという場所しかなかったから?確かにその時代に多くの天才的な劇作家が現れ、多くの戯曲を表し、劇作という芸術が確立されました。イプセン、ストリンドベリ、チェーホフ、オニール、テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラー、リリアン・ヘルマン、etc.
物語のドラマを伝え、読み手の心を動かしたいのであれば、文学的表現を駆使して小説を書けば良いし、自分のその時の感情や想いを言葉で伝えたいのであれば、詩を書けば良いはずです。
しかし彼らは戯曲を書くことを選んだのです。戯曲は、人々が日常的な楽しみとして読むものではありません。(想像力豊かな人が通勤途中の電車の中で、ト書きと台詞を読んで涙することもあるかもしれませんが)
戯曲は上演-performanceされることを意図して書かれています。ある日、ある場所で、ある人たちによって、ある人たちの前で。
そういう意味では、戯曲それ自体は芸術作品としては不完全なものです。未完成と言ってもいい。なぜなら戯曲は、上演者(俳優、演出家、美術家、技術スタッフ)の芸術的な貢献、そして一番最後に観客の芸術的貢献との、融合を必要とするからです。それなしに上演-performanceすることは不可能です。つまり戯曲は上演者たちの共同作業により、それぞれの芸術的な選択、それぞれの技術的な工夫、それぞれのドラマチックな解釈によって出来る限り最上の伝達形式に変換され、観客と交流するための上演作品へと発展していくことになるのです。そしてそれが上演-performanceとして観客の前に提示される戯曲の最終的な形と言えるでしょう。
なぜ彼らは戯曲を書いたのでしょうか?芸術作品としては不完全なものを。他の芸術家である、上演者を必要とするものを。
最終的な戯曲の形が上演-performanceであるならば、戯曲の最初の形、その発端は何になるのでしょうか?それは”劇作家の心、劇作家の内的体験”です。これがすべての始まりです。
日々人間を、人々の生活を、注意深く観察している劇作家が、ある時、ある場所で、ある出来事に触れ、それによって彼らの心に生じた強烈な内的体験「感情-気分-考え」。その内的な体験が、戯曲を書かせるきっかけになったと想像するのは難しくありません。
彼は、彼女は、見てしまった、知ってしまった。書かなければならなくなった。人々に、世界に、伝えなければならなくなった。それは劇作家自身の心の琴線に触れるような個人的なものかもしれません。それとも人間が地球に現れてからずっと積み重ねられてきた人類全体に共通する普遍的な問題なのかもしれません。
どうすれば、その内的な体験=「感情-気分-考え」を人々に、世界に、伝えることができるのでしょう。言葉を伝えるのではありません。「感情-気分-考え」は、言葉の裏にあるエネルギーであり、それは体験することでしか理解し得ないものです。
ここに偉大な劇作家たちによって確立された劇作芸術の天才性があります。劇作家は知っていたのでしょう、「感情-気分-考え」こそが真実であり、言葉それ自体は真実ではないということを。真実は芸術の血であり、真実なしに芸術は人間の精神・魂に影響を与えることはできないということを。(チェーホフが600近くもの短編、中編小説を書き続け、最後に戯曲を書いた理由はここにあると思います。)
だからこそ、舞台上に真実に生きる人間が、人間の精神生活が必要なのです。俳優の心理と身体とペレジヴァーニエ(内的体験)=真実が必要なのです。
上演者(俳優、演出家、美術家、技術スタッフ)は、劇作家が戯曲にプログラミングした真実の生活を、それぞれの解釈に基づき、舞台という制約された条件のなかで創り出さなければなりません。それは、決してビジュアル的な結果を求めるものではありません。俳優が真実に生きることができる場所を、俳優がその日その時、今の今、創造的プロセスを踏むことができる空間を、芸術的な形で舞台上に創り上げなければなりません。
劇作家の内的体験「感情-気分-考え」を、ある日、ある場所で、ある人々の前で舞台上にre-createする。そのためには完全に真実に基づいた『有機的な自然の法則』が必要になります。
まず劇作家その人自身の人生を研究すること、その環境、その時代の生活様式、生活条件、モラルや道徳。彼が見てきたものをできるだけ視覚化し、五感で感じ取らなければなりません。そして戯曲から彼がプログラムしたideaを読み取ること。劇作家その人自身の独特の視点、表現方法、物事や出来事、世界に対する考え方、感情の本質、それらが必ず作品に反映されているからです。
“劇作家の皮膚の中に入り込め”、それが劇作家と戯曲に向き合うことだと私たちは考えています。